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2月15日 懸念・情報・新展開

シッディベリヤに問題発生との報が入り直ちに現場へ向う。
またもや対立。今度はトイレ近隣に家を建てたいという人物が現れた。
確かに隣に公衆便所がある家は少しイヤかもしれない。これは俺にはどうしようもない。作りたいと言っている人が居て、作りたくないと言う人が居る。俺に出来る事は話し合いの場を提供する事だけだ。
「もの食う人びと」にこんな内容が載っていた。
ミャンマーのイスラム教徒が迫害を受け、26万人の難民がバングラデシュに流れ込んだ事がある。当初は好意的に受け入れていたバングラデシュ人も、彼ら難民が受ける海外からの食料援助の内容を見て徐々に争いの火種がくすぶり始めた。難民の得る食料が、その地域の貧困層の食料よりほんの少しだけ良かったからだそうだ。
食料援助とトイレ建設を同じ土俵で語るのは微妙だが、外部から流入する資金は場のバランスを崩す。国際協力や開発協力が紛争を起こす事もあり得るかもしれない。規模は違うけれど、注意しなければ。
できれば、決め方の論理に暴力的な要素が混入しない事を望む。ママ氏が街の友人に話を付け、彼の立ち会いの元トイレ支持層と反対している人物との間で話し合いが持たれる事となった。
結果は明日。良い結果が出る事を期待している。

ママ氏に、学校のトイレに関して相談すると大勢の職員が集まって話し合いになる。なんと、ほとんどの人間が学校にトイレを作る事に反対であると言う。何故か?
どうやら、俺がトイレを建てようとしている学校には強力な出資者が存在するらしい。もともと、学校自体その出資者によって建てられたもので、トイレについてもその出資者が金を用意している最中らしい。出資者との「協力」という甘美な言葉が頭をよぎるが、さらに職員からの意見が続く。
確かに学校のトイレは必要だが、その学校はトイレを自分たちの手で作り始める可能性を十全に持っている。そして、トイレを作る可能性を全く持っていない村や学校は他にいくらでも存在する。
ここで少し目が覚める。
開発のメインストリームが現地の人間によって担われている以上、自分のような外国人はメインストリームから外れる人々を開発の対象としたい。それは俺の信念のようなものだ。存在意義、と言い換えても良い。
さらに職員からの話は続く。
なんと、俺の活動を聞いて、幾つかの村と学校から陳情が入っているらしい。
ラージプール・クルピの二つのマーケット。テディベリヤというムスリムの村。ラムロチャンプルの幼稚園。の4つから。
特にテディベリヤと幼稚園は困っているようだ。幼稚園は出資者が存在せず、テディベリヤはムスリムの村で、インドのイスラム教徒は貧困に喘いでいる。また、イスラム教徒の村はコミュニティがヒンズー教徒の村よりも発達しているケースが多く、トイレの共有を前提として作る事が出来る。
あと一万ルピー程寄付に余裕があると告げると、ならば5000ルピーずつ二つ作ったらどうか、との事。願っても無い。
作られる可能性が少なく、それでも維持が可能な所に作った方が良い。
こっちに作ろう。高校の方には謝りに行こう。職員が一緒に行ってくれるらしい。
職員が俺の足の甲に額をつける。「あなたを尊敬します」の意だ。
とんでもない、俺はただ金を集めただけだ。

一件目は準備期間も含めて4ヶ月かかった。二件目は一ヶ月半。
そして三四件目のトイレはなんと準備期間無しの10日余りで作らなければならない。ぼやぼやしている暇は無い。早速幼稚園に向う。
教育委員会のようなものが存在し、そこの長と話す事が出来た。土地、費用、管理まで一気に詰める。話はあっと言う間に纏まった。水場も存在し、手を洗う事を子供達に教える事の出来る良い土地が選択された。
この幼稚園、生徒の数は250人・教師は2人との事。ウーロン・ハート・フリースクールという名だそうだ。ハートとは二日市の意。

明日はムスリムの村に行く。実はこの村、アマン氏の住む村の近くにある。彼も協力してくれるそうだ。明日はついでに牛肉もごちそうしてくれるとの事。

昨日に引き続き死について。
死を想うと閉塞感に包まれる。いつか訪れるかもしれない絶望にびくびくして、部屋の隅に丸くなって拗ねる。駄々っ子のように誰かが手を差し伸べてくれるのを待っているのかもしれない。
そんな時に見える世界は灰色で、哀しい事しか思い浮かばなくなる。
女神が中空から現れて、自分を違う世界へ連れて行ってくれるのではないか。そんな事を本気で想う様になる。
重要なのは、死によって閉塞されようが、いつか絶望に陥るかもしれなかろうが、「この世界で生きて行く」という覚悟なのだろう。
まじ覚悟が足りなかった。そう想うと、美しい夕焼けが外に見えた。
昨日も書いたがインドに来る直前、絶望に関して書かれた漫画を呼んだ。漫画にそんな衝撃を受けてしまうなんて、すげぇ子供じみているけど、そういう事もある。
自分が衝撃を受けた回は絶望で人が老化していくシーンを描いたものだった。その回を読んだ瞬間雑誌を投げ捨てて吐き気を催した。
その後すぐインドに出発したからその後の展開は知らない。
昨日、ネットを調べていて初めてその後の展開が判った。自分が衝撃を受けた回の次の回の題名は「生きる」だった。
内容は判らない。だが、それを見た瞬間何かが吹っ飛んだ。
いきる、いきろ。血まみれのもののけ姫。
30%くらい、覚悟が決まった。100%になるためには、死ぬまで生きなければならない。禅僧にとって、悟後の修行こそが重要なように。
しぬまでこのせかいでいきぬいてやる。

明日からは、久しぶりにパワフルに行動できそうな気がする。朝から夜までやる事がある。楽しみだ。
by kakasi0907 | 2005-02-16 01:22


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