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2月22日 せいめいのよろこび、ばくはつ

朝9時半、ママ氏と共にシッディベリヤへ。もはや日課だ。
道中ママ氏に昼食へ誘われる。27日。日本へ発つ2日前だ。快諾する。
ポリオの話になる。インドではポリオワクチンが義務化されていないのだろうか。そこかしこにポリオ特有の枯れ木のような手足をした人々が存在する。
以前訪れたブッダガヤーでは、ブッダが悟りを開いた菩提樹の付近に大量の物乞いが集まっていたが、その多くがポリオにより働く事が出来ず地をはう様にして生きる人々だった。(足が動かぬものは文字通り地を這っていた)
この話は以前もした。なぜ、再びポリオの話をママ氏は持ち出したのだろうか。
27日には、ママ氏の家族を紹介してくれるという。息子が二人、そして奥さん。奥さんは、政府のポリオ対策組織の一員との事。なるほど、そういう事か。
予防医学、公衆衛生、そう言ったものには非常に興味がある。是非、話を聞いてみたい。

シッディベリヤに到着すると、小便器と大便器が設置されていた。いよいよトイレらしくなって来た。大便器の方はパイプでタンクにつながれ、もう使用可能な状態だ。
今日明日でドアと屋根を取り付け、仕上げる。2日程余裕を見ておいてくれとの事。2日後には確実に完成する。
今日は特に争いは起こらなかった。もう、ほとんど完成したも同然だからだろうか。安心して見ていられる。
心無しか市場の人々が俺にフレンドリーだ。最初は一体何を作っているんだろうかと見ていた人々も、公衆便所であるという事を認識し始めたようだ。
今までは組合の人間とマーケットの有力者、一部のショップキーパー達しか、俺がマーケットにやって来る理由を知らなかったのかもしれない。しきりに、あのトイレは日本からの資金協力で出来たものだ、と様々な人間が話し合っている。

トイレを建設した業者と費用に関して詰める。小便器を設置した事によって、何をどうやっても労働者に払うコストがオーバーする。俺からはもう逆立ちしても資金は出ないため、VSSU(ウチのNGO)とマーケットの住民が更に資金を供出する事になった。理想的。

いつも橋の所に居た乞食の老婆と、足に怪我をした子犬の姿が見えない。どうしたのだろうか。
ぱりっとした学校の制服を着た少女が鞄を教科書ではち切れんばかりにして歩くその横を、山のようなわらを頭に乗せぼろぼろの衣に身を包んだ少女がうんうん言いながら歩いて行く。たぶん二人は同い年だ。
ぼろを纏った少女はえい、とばかりに重いわらを道の脇に投げ落とすと、飛び上がらんばかりに身を反動させた。体はしなやかに躍動し、何かが内側から弾けだすかのようだった。解放の喜びか。あまりに美しい。
遥か遠くまで続く道の向こうから吹く風が、俺の体を涼しく軽やかに包み込み、舞い上がった黄緑色の木の葉が俺の目の前を通り過ぎると、俺はその葉の葉脈まで見る事が出来た。
ふいにあたりが明るくなったような気がした。
市場を行く人々の体、いきもののニクに、生命があふれている。リクシャをこぐ若者、鶏を屠る少女、屠られる鶏、よろよろと歩く野良犬、すべて。
俺の体の中から、何か声がする。ニクが爆発する様に何かを語りかける。これは、そう、「生きろ」と言っているのか。

産まれ出る時の絶叫を、産む時の母の涙を、超えるような爆発的な生を、俺は味わう事が出来るだろうか。
死と生は表裏一体ならば、死ぬ時に味わうのかもしれない。

オフィスに戻り、昼寝をして起きると、あたりは薄暗くなり始めていた。
空っぽの頭の中に、言いようの無い恐怖が満ちる。無意識に、以前マーケットの闇の中で感じた不安を思い起こしたのかもしれない。
怖い。ドアを開けて、外に走り出ると、そこには、夕日があった。
美しい夕焼け。
俺は何を恐れていた?死を恐れていたのか、いや違う。俺は不安そのものを恐れていた。絶望そのものを恐れていたのだ。
笑ってしまう。まさに、死に至る病それはゼツボウという訳か。
笑ってしまう。ならば、失せろ、マーラーよ。
おれは絶望も不安も快楽も喜びも感動も否定しない。それらは全て同じものだ。
それらは全てこのニクの生み出す生命の爆発だ。

午後5時、幼稚園に向う。トイレ設置作業をチェックしに行く。
幼稚園に辿り着くと、もう既に貯蓄タンク用の穴が掘り終わっていた。深い穴。
もうあたりは薄暗くなりつつ有るのに、子供達が地面に絵を描いて遊んでいる。
子供達の安全を考えてか、深い穴は鉄板で塞がれていた。安全。
明日はインドの休日のため、工事は明後日から再開との事。時間が余りないが、アマン氏の好意により作業員を同額で倍増員してくれるとの事。おそらく間に合う。
心配なのはデジカメのバッテリーだ。単3電池で稼働するが、替えが無い。農村部では電池の入手が少し難しそうだ。バッテリーはあと三分の一ほど。

明日は休日か。何をするか。
# by kakasi0907 | 2005-02-23 00:00

アップし忘れ

2月17日時点
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# by kakasi0907 | 2005-02-22 01:12

シッディベリヤ公衆便所

間もなく完成。
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# by kakasi0907 | 2005-02-22 01:08

二日分

2月20日 ネット危機

昨夜からネットが繋がらない。サーバーに接続する事は出来るのだが、認証で弾かれる。
以前も同じ事があった。その時はアカウント名を更新している最中であった事が原因だった。研修半ばでの事であったため、この先ネットが使えなくなったら本当にどうしよう、と青くなった覚えがある。
今回は職員に確認した限り、アカウントやパスワードに問題は無かった。となると、なんらかの問題がサーバー自体に生じているのだろうか。

今日は休日。朝から晩までぐったりする。ここ数日いろいろ大変だった。
以前落としておいた「平原」という題名のオンライン小説を読む。オンライン小説界は玉石混交で、一時は視聴者や読者を置き去りにしたまま終了する様々な物語を自らの手で補完するファンフィクションが席巻していた。ファンフィクションは読み手の願望充足カタルシス勝負な部分があるため、文学的に評価する事は難しい。
が、中にはまじめに普通の小説を書く人々も居る。「平原」もその一つ。
伝奇系少女漫画の男性キャラっぽい人物像、それぞれのエピソードに説明不足消化不良バランス欠如、やはり伝奇系少女漫画的な終わり方、といった問題があるが、一貫して読ませる物語だった。
少し驚いた。玉石混交、と自分で言っといてなんだが、本当に玉があったよ。
一日で全部読まされてしまった。

本が好きで、特に小説は大好きだ。あればあるだけ延々と読み続ける。一日一冊と決めないと寝る事を忘れてしまう。朝になって、自己嫌悪に陥る事もしばしば。
インドに来てからも数限りなく小説を読んだ。都合上英語の小説も読んだが、やっぱり日本語が面白い。ライトから古典まで何でもござれだが、これからはネット小説にも手を伸ばしてみよう。
ああ、また眠れなくなりそうだ。


2月21日 小便器論争

昨日小説を読みすぎて、徹夜をしてしまった。朝自己嫌悪に陥る。今日は9時半からシッディベリヤに行く予定だった。睡眠不足の吐き気を押さえて自転車をこぐ。

現場につくと人だかりが出来ていた。また揉めている。今日の焦点は小便器。
一方は小便器を付ける事を主張し、もう一方は付けない事を主張している。
インド式の便所は壁に排水用の穴をあけただけ、という小便器が主流。男性は壁に向って用を足し、小便は壁を伝い排水溝へと流れて行く。まぁ最終的に排水されるし、掃除もしっかりされればきれいなので良いのだけれど、どうにも原始的だ。
俺は設計にまで関わっていなかったため、小便器を付けるものだと完全に思い込んでいた。が、元々付けない予定だった、と聞いて仰天した。
早速小便器を付ける事を主張する側を強烈に支持する。企画者の主張と言う事で、すんなりと小便器を付ける事に纏まった。
ほっとする。

午後、ママ氏と小便器を仕入れに行く。マーケットの業者に発注させても良かったのだが、時間もかかるし費用も余計にかかるため、自分たちで買いに行く事にした。トイレ市場はロキカンタプルにある。
いい感じの小便器がすぐに見つかった。そのままバイクで輸送する。ママ氏が小脇に便器を抱え、俺ママ氏職員の三人乗りでインドの道を走る。無茶苦茶だ。
日が暮れる頃には小便器を現場に送り届ける事が出来た。これでかなりの時間節約になったはずだ。
このまま順調に行けば明日にはほぼ完成する。ネットが相変わらず使えないためリアルタイムで写真を公開出来ないのが残念だ。

シッディベリヤが完成次第、すぐに幼稚園のトイレに移る。
時間は限られているが、多分大丈夫だろう。行ける。
# by kakasi0907 | 2005-02-22 00:32

2月19日 肉

ワカった。人は肉だ。

死や絶望を思うと心が沈み、飯も不味くなる。ここ一週間程飯は妙な味をしていた。
今日は旨かった。いつもと同じ卵のカレー。スパイスの調合も既知のもの。しかしここ数日来の味を感じた。
心が沈むともそもそと食べるようになる。今日は消化器官へ押し込むようにがつがつと食べた。ハムスターのように米で膨らむ口が心地よい。
舌に広がるおいしさと、体へと詰まって行く充足感、食に対する本能的な欲求が満たされて行く至福に俺は酔いしれた。ああ、生きている。と。
直後、深い哀しみに苛まれる。いつか食事を取る事が出来なくなる日が来る。老いて食は細り、死が訪れれば食事を取る事は出来なくなる。
なんと哀しい事か。愛おしむように今カレーを味わう。

更に食事を続けると胃袋は張り、満腹になった。しかし皿には未だカレーと米が残っている。これ以上食えない。
すると、あれほど愛おしかった食物が、勘弁してくれ、もう見たくもない、腹一杯なんだ、という感覚を生じさせるだけのものになる。
そこへ至って、いつか食事を取る事が出来なくなるという事の哀しみは、あっさりと消え去ってしまった。
死が近づき、食が細るという事は、満腹になる事と同じなのかもしれん、とか思いながら。

人は肉だ。精神が俺なのではなく、この肉体こそが俺なのだ。それが全てではないかもしれないが、確固たる真実で有ると思う。
この数日間、頭の中でぐりぐりと死や絶望、精神について考えていたが、死を想えば思う程に真実から遠ざかって行く感覚があった。今実際に「この世界」で生きているのは、この肉なのだ。全てのおおもとに、食物を喰らい、睡眠をとり、排泄し、子供を造り、子供を育てる肉体がある。
論理を積み重ね、概念を作り上げる事に意味が無いとは思わないが、積み重ねれば積み重ねる程に、人は肉からはなれ、概念の化け物の様になって行く気がした。
自分は少なくとも「この世界」に生きる肉としての本義を忘れたくはない。
食物を喰らい、子供を造り、そして朽ちて行く。
その上で、論理を積み重ねるなり、世界に貢献するなり、何かを残す行動を取るのも良いかもしれない。
ヒトはニクだ。それが判った所で、何も救われた感じはなく、ニクとしての本義に従う事を強いるものは無いが、確固たる真実の一つであるという感覚はある。
この世界でこの肉で死ぬまで生きて行く。

分かりにくい話で、すんません。ここからは研修についてです。

昨日の日記を確認すると、写真がアップ出来ていなかった。
インド農村部からネットをつなぐと、あまりの遅さに驚く事になる。せっかちな俺は、写真が送信される前に接続を切ってしまったのかもしれない。
今日再度アップを試みる。写真は自分とトイレ現場。ママ氏が写したのでえらくピンぼけしている。微妙な表情で少し悲しい。

今日もシッディベリヤへ向う。昨日はトイレの土台部分しか無かったが、今日見ると壁が組み上がり始めていた。凄い早さだ。この分なら自分がインドを発つ前に完成するだろう。
昨日は扉の位置に関する争いが有ったが、今日は小便器の屋根に関する争いがあった。どうもインドでは小便器のある部屋に屋根を付ける風習が無いらしい。
ママ氏はいつもインド人は怠け者だ、と繰り返す。俺も正直言って凄まじく怠け者だが、インドに来るとなんと勤勉なんだと褒められてしまったりする。
インド人が自分たちを怠け者と思い込んでいるのか、本当に怠け者なのか、自分には判断がつかない。ただ、インドの若者は職に就かずぶらぶらしている連中が多い。もちろん職そのものが不足しているという事もあるが。
今回小便器設置部分に屋根を付けるか付けないかという話し合いで、ママ氏は屋根を付けない事を主張した。最終的に小便器設置部分に屋根を付けない事に決まったが、その論拠もインド人が怠け者であるという事に根ざしたものだった。
ママ氏曰く、インド人は怠け者であるから小便をしても水を流さない、故に雨が小便器にかかる事が非常に重要であるとの事。それを聞いて、なんと他のインド人はなるほどそのとおりだ、と納得していた。
俺はとにかく争いが起こらない事が一番だから、とりあえず口を出さなかったが、トイレ設置後の掃除が非常に心配になった。マーケットの人々は掃除をする、と言っていたが、何か手を講じておくべきかもしれない。明らかに当てにならない。

オフィスに戻ると、幼稚園のトイレに使う資金が用意出来ていた。これで早ければ明日にも作業が開始出来る。明日はママ氏の休日であるが、自分一人でも幼稚園に向う。
幼稚園の様子を写した写真をアップ出来ると思う。
あ、でも明日は日曜日か。
# by kakasi0907 | 2005-02-21 23:45