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1月12日 祭りの食卓、土地の呪縛

今日は祭り。
宗教改革者ヴィヴェカナンダの誕生日らしい。
ちなみに、VSSUのVはヴィヴェカナンダを略している。
ヴィヴェカナンダは「よく考える」という意味を持つ名前だそうで、クライアントに融資をする際、よく考えてしよう、という含意があるそうだ。

祭りの食卓には、ハッチホッチと言う料理が出る。
インドのお粥、あるいはリゾットとでも言えば良いだろうか。

朝、起きるとオフィスの中庭に大鍋を並べ、料理をしている。ハッチホッチを作っているのだ。
VSSUは祭りの際に村人に料理を振る舞う。俺はかなり体が大きいが、鍋に投身自殺できそうなサイズ。
俺は、食べ物に対して人一倍の情熱を持っているように思う。
食い意地が張っている、というだけの意味ではなく。(食い意地が張っていると言う事は否定しないが)
食べ物にまつわる場で、人と仲良くなる事が多い。それはインドでも同じだった。
食を前にするとひどく正直になれるのかもしれない。
今までの滞在期間、村やマーケットを廻ったのと同じくらいの時間をキッチンで過ごした。
指を指せばそれが何か教えてくれるし、うまかったらうまい、まずかったらまずい、辛かったら真っ赤な顔をするだけで良い。
コミュニケーションが解りやすいところが、好きだった。

今日も、俺は大鍋の横に座った。
マスタードオイルの香り目にしみる。地中海がオリーブオイルなら、インドはマスタードだ。何も油まで辛くしなくても良いと思うが。
マスタードオイルに関しては、俺はその味を体で知っている。
以前、オフィスから駅に行く際、異常に安いバンリクシャーを見つけた。
普通なら30ルピーの所を3ルピーで行ってくれると言う。そのような場合、同乗者が居るのが常だが、同乗者は人間ではなく、マスタードオイルの詰まったドラム缶だった。
駅までの道は悪く、ところどころ穴が開いている。バンにはサスペンション等なく、俺とオイルはひどく揺れた。
大丈夫かよ、と思っていると、駅近郊で案の定ドラム缶は横転し、俺はマスタードオイルを頭から味わう事になった。
辛い思い出となった。

大鍋の周りには様々な食材が置いてあった。初見のドライフルーツのようなものがあったので、名前を聞いて見る。
アムチャットゥと言うらしい。マンゴーを干したものであるようだ。?、ならばこのアムチャットゥの隣にある梅干しのようなものはなんだろうか。まさかこれは。
アムチュール。やはりアムチュール。このブログを見ている人の中に美味しんぼマニアは居ないだろうか。
居なければ残念だ。カレー戦争。

ハッチホッチの作り方。
大鍋でスパイスとダル豆を煎る。ダルは黄色い豆で、ダルスープはインド人にとってのみそ汁。
別の鍋で、マスタードオイルで青唐辛子を炒める。色が変わり始めると、トマトを生のまま放り込み、スパイスをばんばん入れる。
次に岩ですりつぶした生のショウガを大量に入れる。香りが立つと、ジャガイモ・人参・カリフラワー等を加える。
ショウガの匂いが辺りに立ちこめると、少し懐かしい気持ちになる。祖父母の家に居るようだ。
大鍋からダルを取り出し、水と米を入れてしばらく煮立てる。ここにもショウガを入れる。
米の湯で具合を確かめつつ、ダルとスパイスを加え、別の鍋で炒めていた野菜とあわせる。
時間とともに、大鍋の中身はダルの優しい黄色に染まって行く。
最後にギィと緑豆を加え仕上げる。ギィは精選されたバター。黄色に緑が美しい。

完成と同時に、中庭に村人がなだれ込む。職員が紙皿にハッチホッチを盛り、村人一人一人に配る。
村人たちは中庭に座り込み、手づかみでハッチホッチをかき込む。
俺もその中に混じる。トイレプロジェクトの対象であるビジョイ・モンドゥル氏の娘たちが居たので、一緒に食べる。
ハッチホッチは、ショウガが利いていてうまかった。
娘たちがしきりに俺に何かを聞くので、意味は解らなかったがとりあえず死ぬ程うまそうな顔をする。
すると、彼女たちも「うまい」という顔を返して来た。
食べていると、何故か笑いが込み上げてきた。こらえきれず大声で笑うと、子供たちも笑った。
村人たちも、職員たちも、一緒になって笑った。ひどく楽しい午前中だった。

午後、ママ氏、アマル氏と共に土地の検分に行く。
予定地を検分していると、トイレの建物が30cmほど他人の土地にはみ出ててしまう事が解った。
なんとなく、それくらい良いじゃないか、と思っていたが、とんでもなかった。
土地は争いの元となりやすいんだ、とママ氏が説明する。何か特有の要因があるのだろうか。
しかし、考えてみると、日本で同じ事が起こったら、下手をすれば裁判沙汰になるだろう。
インドの農村という事で、大雑把に考えていた自分がちょっと恥ずかしくなった。
日本には、法の支配がある程度確立されているから、まだ良い。争いは裁判で解決される。
正確な知識がないが、パレスチナ問題のように、裁判にかける事の出来ないレベルで土地の問題が起こった場合、戦争が起こる。
ここインド農村で土地の争いが起こった場合、戦争は起こらないかもしれないが、法や裁判の外で、もっと陰湿な事が行われるような気がする。定期的な収入を持たない未亡人であるモンドゥル家族はひとたまりもないだろう。
甘かった。

インドの農村部を走り回っていると、酔っているかのような高揚感が訪れる事がある。
異国の地で、貧困とかと戦っている俺かっこいい、みたいなヒロイズムがあるのかもしれない。
あるいは、開発とかの国際的な舞台で走ってる俺最高、みたいな間違った思いがあるのかもしれない。
そういった思いは、害悪にしかならないと感じる。また、そういった動機で途上国にやってきても、事態を悪化させるだけかもしれない。
今回の俺のように、現実認識が、まるでファンタジーの世界にいるように甘くなる。
途上国の貧困問題も開発に拘る問題も全て、土地の問題と同じように、自分たちの日常生活の延長線上にあると思う。
同じ地に立って、生きていると言う認識が必要なのかもしれない。

自分は一体なんのためにここにやってきたのか、どんな問題を解決したいと思っているのか。どうしてその問題に自分がコミットする必要があるのか。
そういったものをきっちりして行きたい。
インドに来る前は、まだできなかった。しかし、今なら出来るような気がする。
by kakasi0907 | 2005-01-14 03:32


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