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1月21日 屠殺

昨日はシステムの都合上ブログを更新する事が出来なかった。
時差的に無理。

足の調子がかなり良い。それにしても、この半月あまり色々な怪我に見舞われた。
ここに書いてない物もある。一つは足首の怪我。もう一つはものもらい。
怪我をする度に対処法を覚えるので、同じへまはしない。
もうほとんど怪我をする所はないので大丈夫だろう。

朝、そこら中をぐるぐる歩く。足のチェックをする。
足や肘をかばいながら歩いていたため、歩き方がおかしくなっていた。
後ろ向きに歩いたり、裸足で歩いたり、その場で足踏みをしたり、すり足をしてみる。徐々にしっくりした歩き方になる。
しかし、ちょっと目立ちすぎた。気がつくとインド人に囲まれていた。
少し足が腫れて来たので、井戸水で冷やす。

昼、徒歩でトイレ現場へ。なんとなく今日は一人で行ってみた。
道を歩いていると、クリケットのラケットを持った若者の一団とすれ違う。
何故か俺の方を見て笑っている。完全にすれ違った後、俺に向かって何か叫んでいる。一体何を言っているのだろうか。妙に挑発的に感じる。
以前職員と一緒に居る時、同じような事があった。その時は職員が非常に立腹し、彼らに向かって怒鳴っていた。何を言っているのかと聞くと、これは農村部の悪い文化だ教育がないんだ許してやってくれ、と言われる。どういう事だろうか。
俺の実家は比較的田舎にあるが、街を歩くと結構沢山不良を見かける。彼らは街にやってきた外国人労働者をからかっていた。それと同じような事だろうか。
インドに来てしばらくの間は、国際交流だぜ、みたいな考えが頭の隅にあり、多少人間関係に難しさを感じても、ぐっと我慢してこらえていた。
しかし、日が経つにつれ、それはむしろ逆効果と思うようになった。それ以来、むかついたらムカついたと言い、気に入らないなら気に入らねぇと言い、良いと感じたら最高だぜと言い、無視したい時はむすっとした顔をした。すると、却って人間関係がスムーズに行くようになった。インド人の友達減っちゃうかな、と思ったがかえって増えた。気がつくと、日本に居る時と全く同じように振る舞い、人と付き合っている自分を発見した。
この正直さを同じように発揮するなら、俺は彼ら若者の一団を追いかけて、なめるなよ、てめぇ、とでも言わなければならない。言葉は通じなくても、怒っている事くらいは解るだろう。よし、行こう。今行こう。
もうほとんど若者たちの方へ走り始めたとき、ふと立ち止まる。彼らの言っている事は俺には解らない。俺の勘違いだったらどうするのだ。もし、彼らの言っている事が俺に対して全く悪気の無い物だったら、これは偉い事だ。よし止めよう。すぐ止めよう。
ということで、今日は拳をおさめた。
異文化交流における正直さと寛容さのバランスが難しい。(今回は俺の性急さに問題があったためあまり関係ないが)背後に文化の存在を感じる物事に対しては、正直さを発揮するのを躊躇する。

現場に着くと、トイレのほとんどが出来上がっていた。あとはパイプとタンクをつなぐだけのように見える。あ、屋根が未だ無い。
家の娘たちと一緒に見ていると、何かをしきりに訴えられる。
しかし言葉がさっぱり解らない。生活に必要な単語やフレーズはちょっとくらいなら知っているが、これは明らかにその範疇を超えている。
トイレのパイプと屋根について言っているのだろうか?しまった、やはりママ氏を連れてくるべきだった。
俺だけではちょっと無理なので、帰って話し合ってみるという事を身振り手振りを交えて伝える。これはなんとか伝わったようだ。
娘たちに手を振って帰り道を行くと、トイレに使うレンガを運ぶ労働者がバンリクシャーに乗ってやって来た。
自転車は?と聞くのでない、と答える。今日は徒歩。すると、乗れと言われる。
ポケットの中身を全部裏返して見せて、金ねぇよ、と伝える。ティグ、アチェ。(かまわない。タダで良いよ)ジェスチャーで、俺重いよ、と伝えると、アチャ(良いよ)との事。
というわけで快適な帰り道となった。

オフィスに着くとママ氏が居たので早速娘たちの事を話す。
実際に聞いてみないと解らないが、もしかしたら何か足りない物があったのかもしれない。その場合追加コストがかかる。その分を払うかどうかは完全に君の決断次第だ、との事。
なるほど。
昨日、母からメールがあり、新たに4000円寄付が増えた。
合計4万円を超え、金銭的余裕はそれなりにある。
とりあえず、問題ないだろう。少なくとも屋根はつけたい。

夕方、アマル氏(正確にはアマン氏だった)の家へ行く。牛肉を求めて、ムスリムの祭りへ出る。
移動手段はバイクだった。二人乗り。ヘルメットが無い。少しビビる。
一緒に行く職員が、なんだビビっているのか、と言う。なんだと。なめやがって。めらめらと燃え上がる闘争心。すぐに飛び乗る。
走り出すと、凄まじいスピードが出る。道がでこぼこしていて、死ぬ程怖い。蛇行運転。曲がる時はスピードをゼロ近くまで落とすので、一応気を使ってはくれているようだが。
危なくねぇ?と聞くと、大丈夫だよ車もこんなに小さいし、と言われる。いや、小さいからこそ危ないはずだが。
大昔、暴走族の友人に連れられバイクの後ろに乗った経験がある。が、その時とはスピードが違う。シャレにならない。彼は暴走族だったが、安全運転だった。
しかし、乗っているうちに慣れてしまった。曲がる時はうまく尻に力を入れれば良い。景色も素晴らしいし、風も気持ちがいい。楽しくなって来た。
でも、こういう感覚の時が一番危ないのかもしれない。今日で最後にしよう。

6キロ程走り、アマン氏の家に着く。
おそらく屠殺からやるのでは、と少し期待していたがもう終わってしまったようだ。巨大な牛の角が頭頂部の毛ごと天井ににぶら下がっていた。所々に血がこびりついているが、したたり落ちては来ない。なんとなく、村上春樹を思い出す。猫の尾をひゅうんひゅうんと振る加納マルタはここには居ないが。
牛は一頭8000ルピーらしい。日本円でちょうど二万円。貧困層は月1000ルピー程で5人以上の家族を養っている。これはとても高い値段だ。祭りのために、アマン氏が村を代表して購入したとの事。細かく切り分け、村人たちに分け与えている。
ところどころに電信棒が立ち、てっぺんにスピーカーがくくりつけられている。大音量でコーランが流れる。なるほど、確かにこれはイスラムの村だ。服装も微妙に違う。空気も、そう雰囲気もなんだか違うな。人と人の間の敷居が低いような気がする。

料理を待つ間、職員と希少動物保護について話す。世界中どこでもそうだが、インドには希少動物が特に沢山居る。国は保護をしているようだが、保護機構が腐敗してしまっているようで、監視している働き手が金欲しさに密猟者と内通していたりするらしい。困った物だ。
こういった組織が必然的に腐敗するのか、そうでないのか俺には解らない。そこに結論が出ない限り、組織そのものを否定する気にはならない。
アマン氏の部屋に鹿の絵が飾ってあった。鹿も希少動物として保護されている。職員によると、鹿の肉はとてもうまいらしい。

話題が変わって、イスラムとヒンドゥーの話になる。彼の話によると、一昔前までイスラムとヒンドゥーの関係は本当にひどかったらしい。同じ家で食事をするなんて、あり得ない事だった、との事。何故そんなに悪かったのかと聞くと、それは時間が経った今思うと、教団上層部の思惑に自分たちが踊らされていたのではないかと思うとの事。正確には聞けなかったが、イスラムとヒンドゥーで別の国を建てる事は、それぞれの権力者にとって大きな利益をもたらす事だったそうだ。
さらに、何故今は比較的良い関係を保っているのかと聞くと、それはやはり教育による所が大きいとの事。なるほど。以前ユーゴスラビアを訪れた際、民族の融和を図る教育を地道に推進するNGOを見たが、なんとも気の遠くなる作業に思えた。しかし、このインドの実例を見ると、そのような平和構築の試みにも希望が持てる。
しかし教育という物は凄い。悪用したらとんでもない事になりそうだ。もし教科書に両信者の悪い点を書き続けたら、インド人は永久に対立と殺し合いを続けたかもしれない。
インドのケースは同じ国の中の事だから出来た事なのでは、とも思う。教科書の記述には国益も絡む。他国間ではなかなか難しそうだ。

そんな事を話していると、待ちに待った牛肉がやってきた。
これは牛肉の食べれる箇所全てをじっくり煮込んだもつ鍋のような物だろうか。
香りからして、ニンニクとショウガ、そしてありとあらゆるスパイスが入っているようだ。
実に良い匂いだ。食欲をそそる。
食べてみると、これが実にうまい。こんなパワフルな味は初めてだ。牛のうまみを全て凝縮したような、なんとも豊かな味。
柔らかい肉、歯ごたえのある肉、内蔵各部、ありとあらゆる箇所を同時に味わう事が出来る。
一緒に出たチャパティで肉をくるんで食べると、またうまい。
あっという間に皿が空になる。すると、アマン氏が大鍋を抱えてやって来る。おかわりはいくらでも、との事。む、どうしようか、と思っていると、食べれないなら良いよ、胃袋が小さいんだな、とアマン氏。なんだと、なめやがって。めらめらと燃え上がる闘争心。
結局死ぬ程食ってしまった。息が苦しい。

腹が張って苦しい帰り道、イスラム教徒の生活と貧困について話す。
職員によると、平均的にムスリムの生活水準は低いと言う。彼らは様々な戒律を守って生活しているが、そう言った事も影響しているのかもしれない、との事。
彼によると、個人の利益を目的とした商売はあまりよくない、みたいな事がコーランのかなり最初の方に書いてあるらしい。もしそれが本当で、彼らがそれを遵守しているならば、確かに貧困に陥りやすいかもしれない。以前、トイレの共有がムスリムコミュニティでは成功しやすいと書いたが、共同体意識の強さはコーランによる物かもしれない。
貧困とテロが結びついている、みたいなフレーズを目にした事があるが、いまいちピンと来なかった。不満が結びついているのかな、くらいしか思いつかなかったが、この流れで結びついているとするのならば、少し納得出来るかもしれない。

話は変わって、道路の話になる。
今走っている道路は比較的整備された道路だが、あと二・三ヶ月もしたらすぐ穴だらけになる、との事。なんだそれは、確かこの道路はつい最近整備されたはずだが。
何故、と聞くと、建設が杜撰なんだと言う。技術的問題と金銭的問題、そして人材的問題もあると言う。
もし今俺が金を持っていて、道路を整備する為に金を使っても穴だらけになったのではしょうがない。やはり、技術協力は重要なのだろうか。

最近、きれいな水等の資源や、トイレなどの共有システムに興味が出て来た。特に貧困層がアクセスする際に障害となる物を可能な限り消す為にはどうしたら良いのだろうか。
NGOでの滞在を初めて以来、貧困層とNGOとの関係を見て来たが、貧困層へのアクセス、貧困層からのアクセス、開発の対象とならない貧困層を対象とする為にはどうしたら良いのか等、「貧困層と〜」は興味を絞る上で重要なキーワードになるような気がする。
とはいえ、まだまとめるには早すぎるか。
by kakasi0907 | 2005-01-22 03:28


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